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吉夢通信

吉夢通信

夜長月によせて・・・。

2014年09月29日
posted by 吉夢 女将

路地にはコスモス、

我が家の庭では、金木犀の香る季節となりました。

 

自分の生まれ月は、何かホッとします。

お彼岸が明け、彼岸花は時を忘れず、

つい先日まで真っ赤な花を咲かせておりました。

  

空を見上げても、天は青く、高く、

先日スタッフがお知らせいたしましたように、

日没もめっきり早くなり、あっという間に、

山の中へと、沈んでしまいます。

 

自然との共存共栄の中で生かされている私どもですが、

やはり最近の、各地の被害・・・。

そして信仰の山として名高い御嶽山は、

先日来より噴煙を上げているまっ最中です。

 

昨日、幕張のホテルで行われた、

千葉県日本調理技能士会20周年の式典と共に、

私どもの調理長の会長就任披露祝賀会で、

社長はご挨拶のご指名を頂き、

今朝は大任を果たし、ホッとした様子です。

 

私が嫁ぎました頃は、

板前さんの居る神聖な調理場には、

家の者でも中々、足を踏み入れることは許されない時代で、

ですが、調理師としての社会的な地位は、

決して高い評価のものでは無かったと申し上げるのが、率直なところでございました。

今でこそ、ユネスコ文化遺産として、

日本の和食は、ヘルシーで、お出汁の文化が、

外国の方にも、受け入られ、

昨年、社員旅行で伺った京都の「菊の井」さん、

ガラス越しの調理場には、外国の方も働いてらして。

海外の方の訪日の楽しみの一つに、

和食を頂くという目的もあり、

築地界隈やB級グルメで賑わう浅草等に、

外国の方が沢山お見えになっており、

私達が思う以上に、日本の食文化は、

外国の方々には新鮮に映り、

重要視されていると申して過言ではございません。

 

その、和食文化を支えている調理師の方々は、

朝早くから、夜は翌日の朝の仕込みまでしてお帰りになりますので、

決して容易な仕事ではございません。

そのような中で、ご自分の技を磨かれ、

食中毒への衛生管理、アレルギー対応等々、

手の抜けない事が沢山ございます。

 

吉夢でも、最近は団体のお客様もさることながら、

個人のお客様が大変多くなられ、

先日も、業務連絡会議がありましたが、

ご家族の大事な記念日にお越し下さる皆さまに、

より一層の接客にあたりたいと、願う毎日でございます。

 

10月からは衣替え。

客室係さんのお着物、新調いたしました。

4月入社の新人さん方、仕事も頑張って夏には、

大きな戦力となって支えて下さり、

着物も、もう一人で綺麗に着れるようになり、

頑張って下さっている様子、お家の方にお見せしたいです。

「元気にやっていると、たまにはご両親に連絡いれてね!」と、

私、いつもお伝えしてますが、

帰ってくるのは、「へへへ・・」と苦笑いだけです。

でも、なんとも可愛いい。

また近々、新しいお着物お披露目したいと存じます。

 

暑い夏が終わり、稔りの季節到来!!

新米、栗、秋刀魚、フルーツ・・・。

秋を召し上がりにどうぞお越しください!

いっぱいの笑顔と、ほっこりの温泉、

勿論!!

美味しいお食事ご用意して、

社員一同心よりお待ち申し上げております。

移り行く秋の深まりの中、

今日も生かされ大きな感謝!!

 

 

人は愛されて人になる   内田 美智子 (助産師)

赤ちゃんがこの世に誕生するというのは、人智を超えた奇跡のような出来事なんですね。人として生まれてくるためには、多くの困難を乗り越えなければなりません。実際に、この世に生まれてくることができない命があります。誕生後、数時間しか生きられない赤ちゃんもたくさん見てきました。

命と向き合う仕事を続けてきて強く感じることは、「人はそこにいるだけで価値がある」ということ。赤ちゃんは、愛され、支えられる安心感に包まれながら大人へと成長していきます。中高生の相談にのっていると、「生まれてこなければよかった」「私は産んでほしいなんて親に頼んでいない」と言う子がいます。そうした言葉の奥には、自分へ向けられた愛情の深さを確かめたいという心理が潜んでいます。他の誰でもない、私のお母さんに「あなたが大切なのよ」と言ってほしいのです。

成長するなかで、子どもたちは、迷ったり、悩んだり、自分を否定することもあるでしょう。そんなとき、私は声を大にして言いたい。「そこにいるだけでいいんだよ」と。どの子にも、生まれてきたことの素晴らしさを知ってほしい。人がそこにいるだけで価値があることを理解してほしいのです。

──思春期の子どもたちと関わるうちに見えてきたものは。

寂しい思いを抱える子どもに共通しているのは、生きる基本であるはずの「食」がおざなりになっているということです。

例えば、お母さんが子どもに「自分の体を傷つけるようなことはしてはだめよ」といくら口で伝えようとも、食卓に並ぶのが冷凍食品やインスタント食品だったなら、〈自分は大切にされていない〉と子どもは感じ取ります。朝食を食べなかったり、一人でご飯を食べたり、毎日、コンビニ弁当だったり……。こんな食生活では、子どもたちの健全な心と体がはぐくまれるはずがありません。

お母さんが手抜きをする理由として、「共働きで忙しいから」と言う人がいます。でも、果たしてそうでしょうか。「食」を放棄するほどの忙しさって、どんな忙しさでしょう。もしかしたら、「面倒くさい」を「忙しい」にすりかえているだけではないでしょうか。

ひと昔前のお母さんは、今よりももっと忙しかったと思います。それでも、当たり前のように、梅干やぬか漬けを作ったり、皆で食卓を囲み、子どもにお手伝いをさせたり、子守唄を歌い、寝かしつけたりしていました。食をはじめ、「豊かさ」が子どもたちの心をはぐくむんですね。ですから、どれだけ親の自覚に立てるかなんだと思います。生きることを大切にすれば、食が大切になります。生きることは食べること、食べることは生きることにほかならないのです。

「幸せな食卓」とは、食事を大切にする食卓です。一緒に食べる人がいる食卓です。食事の時間が楽しくてたまらない食卓です。お母さんが家族のために作った料理が並ぶ食卓です。たかが食卓、されど食卓なのです。子どもの心の豊かさは、食卓で決まるといっても過言ではありません。

──子育てに戸惑う親に向けたメッセージをお願いします。

私が子どもたちの将来のことを思い、この世からなくしたいものがあります。それは、テレビ、携帯電話、ゲーム、ファストフードです。これらは家族が心を交わす時間を侵害するものだと思うからです。しかし、どうあがいても、それらをすべて排除することなんてできません。

では、どうすればいいのか。私たち大人が一歩でも、いや半歩でも踏み出してみることだと思うのです。それは特別なことではありません。食卓を囲むときはテレビを消して会話を楽しむ。食卓には携帯電話を持ち込まない。朝、子どもが登校するときに、玄関まで行って送り出し、おふくろ料理にとことんこだわってみるといった具合にです。これまで子どもの誕生日にしかお祝いをしなかったら、両親の誕生日をお祝いする。しかも、子どもが率先して、両親の誕生日をお祝いできるような子に育てる。それが子育ての着地点のように思えてなりません。

私は子どもを産んだとき、初めて「愛おしい」という言葉の意味が理解できました。子どもが幸せになってほしいと願わない親はいないはず。人は愛されて人になるのです。ぜひお母さんたちには今しか味わうことのできない子育てを楽しんで、たっぷりと愛情を注いでいってほしいと願っています。   『やくしん』(佼成出版社)

 

随分と長くなりましたが、常々、食とは、『他の命をいただくこと』

だから私達は、感謝し手を合わせ、

身体に入れさせていただくことを・・・。

謙虚さを忘れてはならないと改めて省みたいと存じます。