南房総・鴨川市小湊温泉の旅館 満ちてくる心の宿 吉夢夜長月によせて・・・。

吉夢通信満ちてくる心の宿 吉夢の日常を
スタッフがお届け

イメージ:吉夢通信

2021.09.25女将通信

夜長月によせて・・・。

玄関でお迎えをしておりますと、秋の爽やかな風が、ロビーを吹き抜け、
見上げる空も、青く白い雲が気持ちよく泳いでおります。

 

全国的にワクチン接種も進み、感染者も減少傾向に推移している様子で、
少し安堵といったところでしょうか。
当館もワクチン接種キャンペーンと銘打ち、
直接ご予約頂いたお客様に、宿泊費の15%引きの期間限定キャンペーンを、
打ち出しております。
昨日は、NHKの取材の方がみえまして、
予約の現状をお聞きになり、早速、夕方5時、6時の全国のニュースで放映され、
事務所のテレビの周りに集まり、ガヤガヤ言いながら、
皆で少しの時間でしたが、和む時間を頂きました。

コロナ感染拡大前までは、10月と言いましたら、
団体のお客様のシーズンという事で、連日、バスが玄関前に止まりますと、
皆で、ロビーのお迎えからはじまりまして、
6時になりますと、3階、1階、2階のご宴会場と、
息せき切って走り廻っておりました。
そんな日常が、今はなんだか、もう懐かしく思えます。

今まで、客室係を経験し、新人の教育担当をお願いしていた方が、
退職なさり、私ももっと、ルームさんと深く関わるようにならなければと、
これも、きっと私自身の更なるステップアップに繋げる為と、
神仏の采配を、素直に受け止めようと心に誓いました。
70歳に手が届くようになり、歩んで来た道を振り返ってみても、
神仏は、宇宙の意思は決して無駄はなさらないと、
これは、私の中の確信となっております。
起きる全ての事は、必要あって起きる事と、やっと分ってまいりました。

先日、ロビーで、「あんたが女将か?」と、急にお叱りをうけまして、
その時は、直ぐにお詫びを申し上げましたが、お客様のお怒りの意味が、良く掴めませんでした。
ですが、お楽しみにいらして、お着きになった途端に、
ご気分を害する思いを、お掛けしたのは、私どもの非礼と、
お声が掛かった私が、しっかりお詫びして、ご不快のままお帰り頂いてはならないと、
改めて、お食事処にまいりまして、
ご立腹だったご主人様へ、全ては私の不徳のいたすところと、真剣にお詫びを、申し上げました。
すると、ロビーでのご様子と打って変わられ、
和やかに、「先程は、私の方こそ言い過ぎました。」と、お話下さり、
「久しぶりに、昔ながらの旅館らしい旅館に泊まれました。」と、
お褒め頂き、料理長の一期一会の匠の膳をご堪能下さり、
料理長とも、談笑し、翌日は、元気にお帰りになられました。

人生は常に、「あなたはどちらを選んで進みますか?」と、
お示し下さり、そして選ぶのは自分自身。
誰のせいにも出来ないのです。
この年になり、社員さんに心を配りながら、心配したり笑ったりして暮らせる事が、
私の性にあっていて、有り難いと感じる毎日。
食べる物を美味しく頂け、それに少しのお薬湯でもあれば、尚結構!!と頂ける、
この何気ない日常をおいて、幸せは無いと感じる誕生月のこの頃、
今日も、大自然の深い意志に、生かされ許され、深い感謝!!

西谷春枝さんという大谷派の副住職の方が書いたものを、
少し長いですが、ご紹介させて頂きます。
 
私は大谷学園という仏教の学校を出ております。
当時、左藤義詮という校長先生がおられ、
私が大谷にいる間、繰り返し繰り返しおっしゃっていたのが、
「みてござる」という言葉でした。
佐藤先生は立派なお寺の住職さんで、後に大阪の知事になられた方ですが、
あるとき大阪船場の問屋さんにお説教に行かれるんですね。
その玄関に立った時、大きな扁額があり、ひらがなで「みてござる」
と書いてあったらしいのです。
応接間にも「みてござる」、手洗いにも「みてござる」、
仏間にも「みてござる」の額が飾ってある。
それで左藤先生がお訪ねになったら、ご主人は、
次のような話を始められたそうです。

その方のお父さんは、飛騨高山出身で、小さい時に父を亡くされ貧乏のどん底。
十三歳で大阪に奉公に行かれるという前の晩、
「貧乏でおまえに何もしてあげられなかった。何か餞別をしたいけれど、それもできない。
物を買うお金もないので、火にも焼けないし、水にも流れない言葉をあなたに贈ります」
そう言っておかあさんが平仮名で書いて、少年に手渡されたのが「みてござる」という言葉でした。

少年はその言葉を持って大阪に出るのですが、辛い船場のご奉公、
ある時淀川の堤防を歩きながら、「辛いなあ、お母さん恋しいなぁ。この川にはまれば楽になれるのに」と思っていたら、ふと「みてござる」という言葉が頭に浮かんで少年を引き戻すんですね。
それからも、先輩からいじめられたり、いろいろ辛い体験をされるのですが、
そういう時のお守りが常に「みてござる」だったといいます。
 この方はやがて船場で店を張るまでに成功し、臨終の場に息子さん、番頭さんを集めて、
「いろいろお世話になりました。私はお陰さまで成功できたと思うけれども、
それには、やはり目に見えない私を引っ張ってくれるものがあった。それが「みてござる」という
言葉なんや。どうか子々孫々に伝えて長くわがやの家宝としてほしい」と言われたと言うんです。
私は左藤先生に七年ほどお世話になり、法話の時間に「みてござる」という言葉を聞かされたのでした。
先生にしてみたら「言わずにおれない」というお気持ちだったのでしょう。
本当の教育者でした。

「みてござる」私も心に、しっかりとどめます。

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